荒俣政吉略歴

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1964年(昭和39年)生まれ。 東京都 神田 出身。
江戸っ子(三代続けば江戸っ子という、その三代目なので)。

早稲田大学法学部 卒。
マツダ株式会社 入社。主に財務。

12年間勤務後、一念発起して独立開業をめざす。

司法書士資格、行政書士資格を取得、開業。
現在に至る。

簡裁訴訟代理関係業務 認定
社団法人 成年後見センター・リーガルサポート 正会員

プロフィール

サラリーマン時代は、主に財務を担当。
資金管理・経理を経験し、数字には自信がある。

3年間は自動車販売の営業も経験した。
車1台売るのは想像以上に大変だったが、直にお客様と接した経験は、開業した今、非常に役に立っている。
サラリーマン生活12年・営業の経験は、司法書士になり先生と呼ばれる機会が増えた今も、驕ってはいけないと自らを戒める元となっていると思う。

一念発起し、退職。司法書士を目指す。
1年目での合格を目指し、毎日10時間の受験勉強に励む。
が、大学受験時代と比べ、記憶力に大きな衰えがあることに愕然としたが(あたりまえ…)、妻の叱咤激励を受けながら3年目に合格!(ふぅ、、、)

性格は、几帳面。 妻に言わせると「小うるさい!」
(妻は絵に描いたような大雑把!ちなみに当ページで使用中の似顔絵は妻による)
しかし、最近は妻の影響で、だいぶ柔軟性(あきらめ?)が出てきた。
正義感が強く、頼まれたことは誠意を持ってきちんと対応する、司法書士には向いた性格と自負する。

趣味は、お酒。 アルコールをこよなく愛す。
晩酌をおいしく飲もうと、日中から水分を控え脱水傾向になることもしばしば。
当然、酒は常に夫婦喧嘩の火種となる。(妻は医療職、でも大雑把)
しかし、反省もなく今日も大好きな麦焼酎「博多の華 三年貯蔵」を買って帰る日々。

なぜ、相続手続・遺言書作成 専門なのか?

司法書士行政書士事務所を開業する際、広範囲な法律サービスの中で、自分は何かのエキスパートになりたいと思いました。その時頭に浮かんだのが「相続」でした。

この仕事を始める以前、まだサラリーマンだった頃に、父方の祖母が亡くなりました。(祖父は遥か昔に亡くなっていました)
祖母が遺した財産といったら、住んでいた家とその敷地くらいで、家は築ウン十年、敷地は10坪程度で、場所はなかなか良い所でしたが、どう考えても1,000万円になるかどうかといった状況でした。
その家には父の兄(私の伯父)夫婦が祖母と同居していました。そして、伯父が外に勤めに出ている一方、家業の印刷業を父が継いでその家に通って来ているというねじれの構図になっていました。
また、父の妹(私の叔母)はとっくに嫁に出ていました。

何年か後、この仕事に就くか就かないかのある日ふと思いついて、その家の名義がどうなっているのか、父に聞いてみました。そして案の定と言ってよいのか、名義はやはり祖母のままでした。

どのような問題があるのか?
現状であれば、名義を変えるには、父と伯父、叔母の話し合いによります。
ところがそのままにしていて、その内に誰かが亡くなった場合は、その子達も話し合いに加わります。
本来ならば兄妹だけの話し合いが、伯父や叔母と甥や姪で、更には、いとこ同士で祖母の家について話し合うことにもなりかねません。
疎遠な者もいれば、経済的な違いもあるでしょうし、まとまる話もまとまらなくなるかも知れません。

私は、このままではマズイと思い、父に伯父や叔母と話し合うように勧めました。
ところが、モメルときにはモメルもので、、、

詳しく話すと身内の恥をさらす様になるので、キーワードをいくつか挙げておきます。
権利証、遺言、法定相続分、固定資産税、扶養義務、寄与分、持参金、特別受益・・・

財産がそんなにある訳じゃなく、いつもは仲良くやっているのに、いざとなるとスンナリとは行かない。
揉めるという程ではないにしろ、何かしっくりと行かない。
そんなことは我が家に限ったことではない、ということを知るのに、そう長い時間は掛かりませんでした。

適切な時期に適切なアドバイスの下、対処することで、必要以上の揉め事は回避できる。私は皆さんに同じ轍は踏んでほしくないと考えます。早め早めのご相談が大切なのです。

あちらを立てればこちらが立たず、全員が100%満足行くというのは、正直難しいですが、それぞれの想いを、ゆっくりしっかりお聴きして、できる限りのお手伝いをしています。

モットー

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司法書士でも行政書士でも、所詮は「サービス業」。
ならば、追求するのはCS(顧客満足)でしょう。
ふんぞり返ってて、何ができる!

お客様に直に接し、サービスを提供する仕事の面白さや充実感を感じています。 専門知識とサービス精神で、皆様のお役に立ちたいと考えています。


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